大判例

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福岡地方裁判所 平成元年(ワ)1872号 判決

原告

右訴訟代理人弁護士

辻本育子

原田直子

岩城和代

角田由紀子

渡邉富美子

稲村鈴代

久保井摂

間かおる

宇治野みさえ

兒嶋かよ子

堺祥子

藤民子

西田靖子

福島あい子

古屋令枝

山本智子

湯川久子

和智凪子

井上滋子

被告

右代表者代表取締役

G

被告

被告ら訴訟代理人弁護士

南谷知成

南谷洋至

右訴訟復代理人弁護士

船木誠一郎

主文

一  被告丙及び被告株式会社乙は、原告に対し、連帯して金一六五万円及びうち金一五〇万円に対する昭和六三年五月二五日から、うち金一五万円に対する平成元年八月一三日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、仮に執行することができる。ただし、被告らが金七〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告丙及び被告株式会社乙は、原告に対し、各自金三六七万円及びうち金三〇〇万円に対する昭和六三年五月二五日から、うち金六七万円に対する訴状送達の日の翌日である平成元年八月一三日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告(昭和三二年生まれ)は、昭和五五年に西南学院大学の文学部外国語学科を卒業後、音楽関係行事の企画会社で会員のための会報編集担当として勤務する等した後、昭和六〇年一二月に被告株式会社乙(以下「被告会社」という。)にアルバイトとして入社し、翌年一月からは、正社員として、同社の扱う雑誌のための編集長であった被告丙(以下「被告丙」という。)の下で取材、執筆、編集に携わり、昭和六三年五月二五日に退職するまで勤務していた未婚の女性である。

(二) 被告会社は、株式会社C社(以下「C社」という。)を主要な出資者として設立された会社で、学生向けの情報雑誌「B誌」の発行のほかに、昭和六一年四月ころからは、C社が発行しているアルバイト情報雑誌「D誌」(旧名称「日刊D誌」)作成の下請けをし、「B誌」の広告料と「D誌」作成の下請料を収入の中心としていたが、その経営は原告の入社当時から慢性的な赤字状態にあった。

(三) 被告丙は、昭和六〇年六月二〇日に被告会社に入社し、同年八月二一日より編集長の役職にあり、被告会社の扱う雑誌について広告主の獲得、企画、編集、制作等の作業全般にわたって責任を負っていた者である。

2  被告丙が加害行為を行った背景事情

(一) 原告は、昭和六〇年一二月初め、「B誌」の表紙のデザインを担当していたAの紹介で被告丙の面接を受け、主として電話の受付その他の一般事務の担当として、当初三か月はアルバイトで月額九万円支給、正社員になれば月額一〇万円の賃金支給との条件で入社したが、翌年一月には、被告会社の代表取締役G社長(以下「被告代表者」という。)ら役員に認められて正社員となった。

なお、入社当時、被告会社の業務は、編集長被告丙、営業担当のE及び制作担当のC社社員Fの三人の社員とアルバイト学生とにより遂行されていた。

(二) 原告は、入社直後の昭和六一年一月、被告丙の指示で「B誌」の英語関係の特集記事の執筆を担当し、それが好評だったので、その後も度々特集記事の執筆を担当するようになり、同年六月ころには、「B誌」の特集記事はほとんど原告が執筆するようになった。また、入社当時の編集の担当者が被告丙だけであったし、原告に編集経験があったことから、原告は入社後ほどなく編集や取材まで担当するようになった。さらに、原告は、同年秋ころから、「D誌」の記事の執筆をも被告丙に頼まれるようになり、翌六二年春からは、「D誌」の作成担当になった。

以上の結果、原告は多忙となり残業も多くなったが、もともとこの種の仕事が好きだったため、仕事に生きがいを感じて励んでいたことから、取材先等からその仕事ぶりが評価されるようになった。

(三) 一方、被告丙は、編集長の地位にありながら、取材先等から苦情が出るほど時間にルーズであるし、また、原告ら社員が残業しているのに残業を嫌って先に帰ってしまうような仕事ぶりであった。さらに、「B誌」の読者アンケートによれば、被告丙の取材記事は原告の執筆記事に比べると不評であった。その結果、被告丙は、次第に、被告会社の社員やアルバイト学生のみならず、取材先や広告主等からも信頼を失っていった。

また、被告会社の経営状態が好転しない上、被告丙が頼りにならないことから、昭和六一年春ころから、被告丙の高校時代以来の友人で社外の人物であったI(以下「I」という。)が被告会社に頻繁に出入りするようになり、単に被告丙の相談に乗るだけでなく被告会社の編集会議等の主催までするような不自然な状況も生じていた。

(四) 昭和六一年九月末に営業担当のEが退職し、さらに、同年一一月末から同年末まで被告丙が一二指腸潰瘍で入院したので、同年一二月から翌六二年八月まで、C社からPが係長として出向して経理を担当した。なお、このことから、Iは被告会社に顔を出さないようになった。

P係長が来てからは、原告と同係長とは協調して業務を遂行していたが、同係長は、原告の仕事ぶりを評価して、同年五月ころ、被告丙の給料を削りその分原告を昇給して月額一一万円とした。このように原告とP係長との関係が順調なため、被告丙はますます自己の地位が脅かされると感ずるようになった。

加えて、被告丙は、同月の決算期のころ、被告会社の役員から被告会社の業績不振の責任を問われたり、被告会社の業績低迷の打開策として提案した「B誌」を無料誌とするとの案を採用してもらえなかったりして思い悩み、被告会社を退社することまで考える状況になっていた。

(五) ところで、昭和六二年八月二〇日、L(以下「L専務」という。)が、被告会社再建のために、代表権を必要とする業務以外の通常業務すべてを統括する事実上の最高責任者として入社した。

L専務が入社した結果、従来はっきりしなかった指揮系統がL専務と被告丙のラインで一本化された。また、被告丙は、被告会社の経営面等がL専務に移ること等により負担が軽くなったことや、同被告を一人前の男に育てるとの意向を有していたL専務の後ろ楯を得たことなどから、自信を回復し、被告会社の主要業務である「B誌」の編集を自ら担当する一方、原告にはC社の下請けである「D誌」の仕事を主にさせて、原告と学生アルバイトらとの交流の機会を少なくさせるとともに、被告会社の経営その他の主要な事項は専らL専務と被告丙との話し合いで行うようにして、被告会社の中で原告が孤立する状況を作り出した。このようにして、被告丙は、原告を退職させることを企図するようになった。

3  被告丙の加害行為

被告丙は、前述のとおり被告会社の内外で原告の評価が高まると、自己の地位が脅かされると思い、以下のような原告に関する性的悪評を振りまく等することにより、原告に対する嫌がらせを行うとともに、原告に対する周囲の評価や信用を失墜させ、特に、L専務が被告会社に入社した昭和六二年夏以降は、原告を職場に居づらくさせて退職を余儀なくさせようとした。

(一) 被告丙は、昭和六一年六月ころ、被告会社の社内でアルバイトの男子学生らに対し、「原告はけっこう遊んでいる。おさかんらしい。」旨の話をした(以下「第一の事実」という。)。

(二) 被告丙は、昭和六一年八月ころ、Iに対し、「原告とA(前記デザイナー)が怪しい仲にある。」との噂を流した(以下「第二の事実」という。)。

(三) 原告は、昭和六一年八月末ころ、通勤中に貧血におそわれたため、出社後ソファーで休んでいたところ、被告丙から、「昨夜も遊んだのか。」と冷ややかな言葉を浴びせられた(以下「第三の事実」という。)。

(四) 原告は、昭和六一年一一月二〇日ころ、卵巣腫瘍により入院しての手術が必要であるとの診断を受け、職責上その旨を被告丙に告げたが、その翌日、被告丙は、他の社員やアルバイト学生のいる被告会社内の原告の真横の席において、掛かってきた電話に対する応対の中で、原告の病気のことを話題にし、「原告が病気で入院するんですよ。」「いえ、盲腸なんかじゃなくて、ほらほら、あれですよ、あれ、あっち、そうそうそっちの方、やっぱり原告らしいというか、あっちのほうが激しいんじゃないですか。」と嘲笑した(以下「第四の事実」という。)。

(五) P係長が被告会社に出向してきた後の昭和六二年三月ころ、被告丙は、被告会社広告主の飲食店開店パーティーに社員らと参加した翌日、被告会社内で原告らが業務中、取引先等の人々に対し、「原告は大学時代の先輩と一緒でね、たぶんパーティーの後、ネオンキラキラの西中洲あたりにしけこんだんじゃないですか。」と中傷した(以下「第五の事実」という。)。

(六) 昭和六二年五月ころ、被告丙は、IとEが経営する会社において、同人らに対して、「知ってるか、原告はおさかんだぜ、今度はP係長をくわえこんだみたいだぜ。」と吹聴した(以下「第六の事実」という。)。

(七) 被告丙は、昭和六二年八月七日、被告会社に入社したばかりのMに対し、「あの人(原告のこと)を働く女の手本と思っちゃいかん。彼女はボーイフレンドがたくさんいて、もっと夜の仕事が向いている人だから。彼女は、ミズ……まあ、いいか……」と誹謗した(以下「第七の事実」という。)。

(八) L専務の入社後、被告丙は、原告に関する次の事実をL専務に報告して、原告があたかも被告会社に損害を与える破廉恥な社員であるかのごとき印象を与え、現代の社会において性的倫理が女性に対してのみ不当に厳しいことを利用して原告に対する被告会社の社内評価を落としめ、原告を退職に追いやろうとした。

(1) 被告丙は、昭和六二年秋ころ、L専務に対し、同年六月を最後に旅行代理店「J」の広告が停止されたことに関して、その原因は、右旅行代理店の支店長と原告との間の男女のいわゆる不倫関係が壊れたことが原因であるとの虚偽の報告をした(以下「第八の事実」という。)。

(2) 被告丙は、昭和六二年秋以降、L専務に対し、原告がスポーツ新聞記者のSから頼まれて飲食店に原稿料を持って行って渡したことやフリーライターであったTに対する私的な貸金を原稿料から差し引いたり、同人が独身の男性であるのに、同人の自宅に朝七時に原稿を取りに行ったりしたことなどの虚偽の報告した(以下「第九の事実」という。)。

(九) 昭和六二年夏から秋にかけて、被告丙は、被告会社の学生アルバイトであったO及びUの二人に対し、「原告は生活態度が乱れているからあんな病気になる。」と誹謗し、病名を聞き返した右学生二人に、「卵巣腫瘍で入院しとった。」と言って、原告の職場環境を悪化させた(以下「第一〇の事実」という。)。

(一〇) また、同じころ、被告丙は、仕事中、原告の側を通るときに小声で「ふん、遊び好きの癖に」「派手好きだからな。」とつぶやいたり、原告が弁当を持参すると「原告が手弁当、信じられん。」と述べたりして、原告に対する嫌がらせを繰り返した(以下「第一一の事実」という。)。

(一一) 昭和六二年一〇月ころ、原告の書いた小説が福岡市の市民芸術祭に入選した際、被告丙は、C社のV部長とL専務らに対し、原告の面前で、「どうせ原告が書いた小説だからポルノに決まってますよ。実体験に基づいて書いたんじゃないですか。」と嘲弄した(以下「第一二の事実」という。)。

(一二) 被告丙は、昭和六二年年末に、取引先であるレコード会社との宴会の席で、同社社員であるXに対し、原告が男女のいわゆる不倫をしていることを言い触らした(以下「第一三の事実」という。)。

(一三) 被告丙は、昭和六三年一月ころ、P係長に代わって経理を担当するためにC社から派遣されて来たNに対し、「君はこの会社のことを、まだ来たばかりだからよく分からないだろうけれども、君みたいなタイプは、原告を見習うこともないだろうが、原告はとにかく遊んでいるんだ。M君が身体が弱いのも、原告がM君を夜遊びに連れ回して身体を弱くしてしまったんだから、君は見習っちゃいけないよ。」と言って、原告を誹謗した(以下「第一四の事実」という。)。

(一四) 被告丙は、昭和六二年一二月末に原告と協議の機会を持ち被告会社の経営状態が悪いこと等を告げた上で、原告が「Y社」からのいわゆる引き抜きの話を持ち出すと、原告に対して積極的に被告会社を退職して右会社に移ることを勧めた。

(一五) さらに、同被告は、原告に被告会社を退職する意向がないことを知ると、昭和六三年三月一〇日昼ころ、原告に対し、「君は私生活が派手なんじゃないか。遊びもかなり派手なんじゃないか。だいたい君はお酒もよく飲むし、随分男性たちとも付き合いが派手なようだ。」と中傷し、「そういう女性はこの業界には向いていないと思う。」と言った。そして、スポーツ新聞記者やフリーライターといわゆる男女関係があったかのように中傷したり、昭和六二年九月から被告会社に掛かってきていた無言電話について、何の根拠もないのに、「では、あの無言電話はいったい何だろう。これはL専務と僕の間でどう言っているか知ってるか。あの電話は君の男関係から掛かって来るのだろう。他の人間が取れば電話を切って、君が取ればデートの打合せでもしているのだろう。」と決めつけたりした。さらに、「じゃあ、(前記旅行代理店)支店長のことはどうなんだ。」、「知ってるんだよ、君と同人が不倫の仲だというのは知っているんだよ。同人ともめたことも、別れたことも全部知っているんだよ。仕事関係の非常に意外なところから入ってね。僕としても困るんだよね。会社にとってもマイナスイメージだからね。」と侮辱、脅迫を加えて退職を強要した(以下「第一五の事実」という。)。

4  L専務らの加害行為

(一) L専務は、被告会社に入社して以来、被告丙から、原告のプライバシーに関する事実やいわゆる男女関係の噂等を聞いていたし、学生アルバイトからも同被告が原告にいかにひどい言動をしているかを告げられながら、同被告をたしなめたり、事実の調査をするどころか、これを鵜呑みにして放置していた。

また、L専務は、被告丙から原告に対する退職の強要(第一五の事実)が行われた昭和六三年三月一〇日の前日に、被告丙から相談を受けた際に、被告丙が原告に退職を迫ることを予見しながらこれを止めさせようとせず、事実上被告丙の右行為を容認した。

さらに、L専務は、同月一二日ころ、原告から、これまで被告丙より受けた性的中傷と同月一〇日の退職強要とについてその内容を告げられた上で、被告丙に右中傷を止めさせるよう救済を求められた。しかし、L専務は、一応原告の言い分に理解は示したものの、「わしが被告丙を一人前の営業ができる一人前の男として育て上げなければならないのだ。ここはわしから注意するが、君たち二人の仲がこれ以上険悪だったら、喧嘩両成敗ということもあり得るからな。」と、暗にこれ以上言えば二人とも退職してもらうとの内容の回答をし、また、そのころ被告丙から、原告に対して退職を求めたとの報告を受けたにもかかわらず、被告丙の行動を黙認して、被告丙の嫌がらせ行為や退職強要を禁止する何ら適切な措置を取ろうとしなかった。

(二) 原告は、L専務へ訴えたけれども同専務と被告丙の間柄からして、どの程度効果があるか不安があったので、昭和六三年三月一七日ころ、被告代表者にも被告丙の中傷でどれ程悩んでいるかを話して、同被告に悪評を言い触らすのを止めさせるよう直接救済を求めたが、同人は、前記3の被告丙の加害行為を気にせず我慢するようにとの趣旨の発言をしたのみで、何ら適切な措置は取らなかった。

(三) L専務は、予め被告代表者と話し合いの上で、昭和六三年五月二四日、原告に対し、「今日、社長とも話し合ってきたが、被告丙と君の仲は余りにも険悪だ。それで直る見込みがなさそうだ。だから君には引いてもらう。明日から来なくていい。」旨言って、退職を強要し、事実上解雇を告知する趣旨の発言をした。その結果、原告は、形式的には依願退職の形で、被告会社を退職した。

(四) L専務がした右の解雇行為は、原告らの対立の原因を解明してその解決策をとることなく、結果として原因を一方的に原告に帰せしめ、原告を排除することによって対立の解決を図ったものである。本件対立の原因が被告丙の原告への性的嫌がらせにあったことからすれば、同専務としては同被告の嫌がらせや退職強要を止めさせるよう指導・命令すべきであったはずであるのに、「男を立てることを」等と言って同被告の行為を容認し、原告に耐乏・屈服を迫り、これが容認できない以上、退職するほかはない状況を作出したものである。これは、原告が女性である故の差別であり、原告の人格権、働く権利を侵害した不法行為である。

5  被告らの責任

(一) いわゆるセクシャル・ハラスメントの理論と本件加害行為について

いわゆるセクシャル・ハラスメントとは、職場で行われる相手方の意思に反する性的な言動であって、労働環境や労働条件に悪い影響を与えるような行為をいう。それは、相手方(とりわけ女性)を性によって差別し、性的自己決定の自由等のプライバシーを含む人格権を侵害するものであり、また、働く権利を侵害し、ひいては生存権をも脅かすものであって、憲法一四条、一三条、民法一条の二等に違反し、不法行為又は債務不履行を構成するものである。そして、セクシャル・ハラスメントには、上司が部下の女性に対して労働条件を盾に取って性的行為を要求するような代償型(対価型)ハラスメントと、一見明白には被害者の経済的不利益を伴わないが、ある種の発言や動作(直接に被害者に向けられたものに限られない。)を繰り返すことにより職場環境を悪化させ、被害者にその職場に居づらくさせるような環境型ハラスメントとが考えられる。

右のような性差別が許されないことは、諸外国においても既に広く認識されており、我国においても、右憲法の規定のほかに、既に批准している女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(特に、一条、五条a項、一一条c項)、雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律(特に、二条、四条、一一条)、労働基準法三条等により、セクシャル・ハラスメントを受けずに職場で働く権利は法律上保障されており、雇用者は右権利の保障のためにあらゆる措置を採る義務(職場環境調整義務)を負う。

ことに、今日までの我国の職場においては、我国の社会の一般的認識を反映して、女性に対しては特に性的事項に厳格で男性に対しては譲歩することが求められていること、被告丙は、右のような我国の一般的考え方に立脚して、原告に関して性的中傷を流すという言語による暴力を行ったのであり、また、原告は、右のような我国の一般的考え方の影響を受けて、有能な社員であったにもかかわらず、男性である被告丙への譲歩を求められて被告会社からの退職を強要されたのである。このように、原告は、女性だからという理由で差別的取扱いを受け、憲法で保障された「性による差別を受けない権利」を侵害されたものと言うべきである。

(二) 被告丙の責任

被告丙は、前記3の各行為を行うことにより、原告に対して大部分は虚偽の内容である言葉による性的いやがらせを長期にわたり執拗に継続して原告の労務提供に支障を生じさせ、遂には原告を被告会社から退職させようとしたものであり、右各行為はいわゆるセクシャル・ハラスメントに該当する違法な行為であるから、被告丙は、原告に対し、民法七〇九条に基づく不法行為責任を負う。

(三) 被告会社の責任

(1) (主位的請求)

原告の上司であり、同人の人事評価や職務内容決定等について権限を有していた被告丙が被告会社内外の関係者に原告に関する悪評を振りまいた行為(第一、第四、第五、第七ないし第一〇、第一二ないし第一四の各行為)及び原告に退職を強要した行為(第一五の行為)は、被告会社の「業務の執行に付き」行われたものであり、また、原告が被告丙から各種の嫌がらせや退職強要を受けていることを知りながら、何ら適切な措置を講じず、最終的には原告と被告丙との対立の原因を一方的に原告に帰せしめて原告を被告会社から排除することによって問題の解決を図ったL専務及び被告代表者の各行為は、原告を性的に差別し、その人格権や働く権利を侵害した不法行為であり、しかも、右各人の立場を考慮すると「事業の執行に付き」行われたものといえるから、被告会社は、被告丙らの「事業の執行に付き」行われた共同不法行為に関し、民法七一五条に基づき、後記損害を賠償する義務がある。

(2) (第一次的な予備的請求・民法四四条一項に基づく被告会社自身の責任)

被告代表者の行った前記の不法行為につき、被告会社は、商法二六一条三項、同法七八条二項、民法四四条一項に基づき、後記の損害を賠償する義務がある。

(3) (第二次的な予備的請求・民法七〇九条に基づく被告会社自身の不法行為責任)

被告会社代表者が、L専務に命じて原告を実質的に解雇した行為は、被告会社自身の不法行為とも評価し得るものであるから、被告会社は、民法七〇九条に基づき、後記損害を賠償する義務がある。

(4) (第三次的な予備的請求・民法四一五条に基づく債務不履行責任)

被告会社は、原告との間で入社時に締結した労働契約上、同社内において、原告が精神、身体の両面にわたり安全に働くことができるための労働環境整備義務を信義則上負っている。

本件においては、前記のとおり、被告会社代表者、同社の実質上の最高責任者であるL専務、同社の編集長としてその業務を統括すべき立場にあった被告丙は、それぞれ右の労働環境調整義務を負っているにもかかわらず、各人による前記各行為により、原告の職場環境を悪化させた。

よって、被告会社は、原告に対し、民法四一五条に基づき、債務不履行による後記損害を賠償する義務がある。

6  原告の受けた損害

(一) 慰謝料 三〇〇万円

原告は、その上司である被告丙、L専務及び被告代表者により、いわば会社ぐるみで前記のようなセクシャル・ハラスメント(そのほとんどは被告丙が故意に流した虚偽の風評である。)を受け、その結果、自己の社会的評価を低下させられたり、そのプライバシーその他の人格権を侵害され、さらには、被告会社を退職することを余儀なくされた。原告は、被告丙らの右行為により回復困難な精神的苦痛を被ったものであり、これを慰謝するには三〇〇万円を下らない金額をもって相当とする。

(二) 弁護士費用 六七万円

7  よって、原告は、被告丙及び被告会社に対し、不法行為又は債務不履行による損害賠償請求権に基づき、右損害合計三六七万円及びうち慰謝料に相当する三〇〇万円に対する不法行為の行われた最後の日である昭和六三年五月二五日から、うち弁護士費用に相当する六七万円に対する本訴状送達の日の翌日から、各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  同2(一)の事実は認める。

(二)  同(二)のうち、原告が入社直後から「B誌」の編集等に関与したこと、その後原告の仕事が次第に忙しくなり残業も多くなったことは認め、その余は否認する。

(三)  同(三)の事実は否認する。

(四)  同(四)にうち、昭和六一年九月末にEが退職し、昭和六一年一一月末から同年末まで被告丙が一二指腸潰瘍で入院したこと、同年一二月から翌六二年八月までC社からP係長が出向して経理を担当したこと、昭和六二年五月ころに原告が月額一一万円に昇給したことは認め、その余は否認する。

(五)  同(五)のうち、昭和六二年八月二〇日にL専務が被告会社再建のために入社したこと、L専務により指揮系統がL専務と被告丙間に明確化されたことは認め、その余は否認する。

3  同3の被告の加害行為とされる事実のうち、原告と旅行代理店支店長とがいわゆる男女関係にあったこと、昭和六二年六月ころに同旅行代理店の広告が停止されたこと、被告丙が昭和六二年末ころ原告といわゆる引き抜きに関して協議し転職を勧めたこと、被告丙が昭和六三年三月一〇日に原告の取引先の男性との交際に関して協議し退職の勧告をしたことは認め、その余は否認する。

4(一)  同(一)のうち、L専務が昭和六三年三月ころ原告及び被告丙それぞれから、右両者間の関係に関して相談を受けたことは認めるが、その余は否認する。

なお、原告は、L専務に、被告丙が原告の性的悪評を言い触らすのを止めさせるよう求めたのではなく、被告丙を被告会社から辞めさせてほしいと強く訴えてきたものであり、これに対して、L専務は、「原告と被告丙との争いは会社に迷惑であり、早急に解決しないと私にも考えがある。」との趣旨のことを原告に告げたに止まる。

(二)  同(二)のうち、原告が被告代表者に会おうとした事実は認めるが、原告が訪れた際、被告代表者は不在だったので、原告とは会っていない。その余は否認する。

(三)  同(三)、(四)のうち、L専務が昭和六三年五月二四日原告と協議したこと及び原告がその後被告会社を退職したことは認めるが、その余は否認する。

5  同5及び6は争う。

三  被告らの主張

1  本件の背景事情について

原告は、被告会社入社後、その能力を発揮して重要な役割を果たしていたが、被告会社の経営は依然として赤字状態が続いていて、被告丙の原告に対する嫌がらせ行為が行われるような状況ではなかった。

ところで、L専務は、被告会社に入社以来、同社の赤字経営を建て直すために業務全般にわたって指導的役割を果たすようになり、それまで被告丙や原告ら社員が無秩序に業務活動をしていたのを改め、指揮命令系統を明確化するなど企業経営の観点から活動するようになった。このような組織的活動とそれに伴って醸成された従前とは異なる厳格な雰囲気のもとで、原告は、自己の存在が相対的に希薄になるのを感じるようになり、これが次第に被告丙に対しての反感へと向けられていき、被告丙も原告との亀裂を微妙に感じていた。

昭和六二年一二月下旬のころに原告と被告丙が話し合う機会があり、その際に原告が被告丙に「Y社」からのいわゆる引き抜きの話をしたのに対し、慰留するどころか、逆に被告丙から転職を勧められたことを契機として、原告は、被告会社内での自己の地位につき不必要な危惧を抱き、被告丙との間で意思の疎通を図ることを拒絶する態度に出たり、被告丙を追い出す画策をするようになった。原告と被告丙の右亀裂は被告会社の取引先や学生アルバイト等にも認識されるところとなって、被告会社の運営にも支障を生ずるようになった。そのため、L専務は、右両者の対立状況を解消すべく話し合いによる解決を指示したが不調に終わり、結局、原告は、自らの意思により被告会社を退職するに至った。

このように、昭和六二年ころまでは、原告と被告丙との感情的亀裂は他の者に認識されるほどのものではなく、右のような状況においては、被告丙が原告に対し、退職を余儀なくさせる等の目的をもって、原告主張のような加害行為したとは考えられない。

2  被告丙の行為について

(一) 原告が被告丙の加害行為として指摘する第一ないし第一五の各事実は、いずれも存在しないか又は原告が事の片々を捉えて曲解ないし歪曲して作出したものである。また、原告に関する種々の噂が存したとしても、それは原告自身が他の者に話したり、被告丙以外の者によって流布されたものである。ことに、旅行代理店の支店長との男女のいわゆる不倫関係については、原告自身が周囲の人物に自慢話的に話していたものである。

原告ら両者の関係は、昭和六二年末までは、各人の内心は別として、外形的には敵対したり被告丙が原告を排斥するような状況にはなかった。被告会社の狭い室内で少数の者が共同作業的仕事をするのに、右のような言動があったとすれば、事務所内の空気が際立って険悪になったはずであり、このような環境で同被告が第三ないし第五、第一一及び第一二の各事実の言動に及ぶことは到底考えられない。

原告は、被告丙を敵対視する傾向が顕著であり、この傾向から自分に関する噂の出所を同被告と先入観をもって考え、他人の噂話を歪曲、脚色して、あるいは他の関係者が歪曲して伝わったものをそのままに、同被告の言動として主張しているとも考えられる。

(二) 第一五の事実(被告丙が昭和六三年三月一〇日に原告に対して退職を求めた事実)に関して

昭和六二年に、原告と被告会社の広告主であった旅行代理店支店長とのいわゆる男女関係のトラブルが原因で当該広告主との取引関係が途絶えたことがあったが、被告丙は同年一〇月ころ原告から数回にわたり、いわゆる引き抜きの話があることについて相談をもちかけられ、原告が自主的に退職する見込みもあったことから、原告のプライバシーに対する配慮もあって、右のような広告主との取引が途絶えた点に関しては、あえて問題として指摘はしなかった。

しかし、原告が被告丙に対して「変な噂をまいているでしょう。謝ってください。」などと同被告の身に覚えのないことを言うなどして、同被告を敵対視するようになり、被告会社の業務を円滑に遂行できなくなってきたので、昭和六三年三月ころ、被告丙は原告に対し、個人的意見であることを付言した上で、「取引先と男女のことで問題を起こし、会社に迷惑をかけられては困るので、会社を辞めてほしい。」との趣旨のことを言ったのである。

3  被告会社の責任について

(一) L専務は、昭和六三年三月の初旬に原告と被告丙の亀裂を知り、そのことが会社の業務に支障を来すことを危惧して、両者に話合いを勧め、さらには、原告に給与面の不満があることを慮って被告代表者の了解を得て、昭和六三年三月分から月額二万円昇給したりして改善を試みた。

その後も、L専務は、なんとか解決を図るべく、原告や被告丙の相談にも応じ、被告代表者とも再三協議してきたが、その間も両者の関係はますます険悪になり、アルバイト学生の間でも問題にされ始め、さらに、原告が周辺の人物に「被告丙を辞めさせる。」と言っていることも耳に入りだした。その結果、被告会社の業務にも支障を生ずるようになり、このままの状態では被告会社の存続も危ぶまれるようになった。そこで、L専務は、五月の連休をとりあえずの冷却期間とし、連休明けまでになんとか解決するように両者に指示した。

しかし、連休を過ぎても依然として両者の関係は改善されないので、L専務は、これ以上被告会社として放置できないと判断し、両者別々に会って話をすることとし、まず、原告と話し合おうとしたが、原告が話合い自体に素直に応じる態度ではなかったので、原告に「このまま解決できなければ会社を辞めてもらうしかない。」と言ったところ、原告は「ちょうど八月には退社しようと思っていた。それが二、三か月早まるだけだ。」と答え、原告の方から退職の意思を表明した。なお、被告丙についても、喧嘩両成敗ということで、自宅謹慎三日及び減俸の処分が通告された。

なお、被告会社は、原告の退職に当たり、一か月分の給与相当額一四万〇七五〇円、同年五月二一日ないし二五日の五日分(日割計算)の給料二万一四四〇円及び特別に慰労金として五万円の合計二一万二一九〇円を、昭和六三年五月二七日に原告に支給し、円満に退職手続が完了した。

(二) 以上のとおり、被告会社代表者及びL専務は、原告と被告丙の問題は本質的には私的な事柄であるから、慎重に配慮、対応しながら、原告と被告丙間での解決を待ったものであり、被告会社の対応には法的に非難されるべき点は何もない。

4  原告主張のセクシャル・ハラスメントの理論について

(一) 違法判断基準の不明確性

セクシャル・ハラスメントの理論の基本的考え方は、男女の平等を回復し、個人の尊厳を希求するもので、この点についてあえて異を唱えるものではないが、セクシャル・ハラスメントにおける違法判断基準は、行為の予測可能性を担保するために、法的に許された行為か否かの限界が明確でなければならず、仮に、不明確な基準で運用すれば、不法行為責任の範囲は不当に拡大する危険があり、ひいては、セクシャル・ハラスメントの理念の実現を阻む結果ともなる。

しかしながら、本件において原告が主張する「性的な言動であること」、「相手方の意に反するものであること」、「労働環境や労働条件に悪い影響を与えたこと」のセクシャル・ハラスメントの成立の三要件は、いずれも違法性の判断基準としては抽象的、主観的であり、極めて不明確、不十分な基準である。特に、本件のようないわゆる環境型のセクシャル・ハラスメントについては、行為の客観的輪郭がより不明確であるから、右基準の不明確さによる不都合が倍加される。

(二) 以上のとおり、原告主張のセクシャル・ハラスメントの概念はいまだ不明確であり、法的概念として成熟しているとはいえない。

今後、セクシャル・ハラスメントが法的に成熟した概念として不法行為の一類型となるためには、例えば、「当該行為が被害者の雇用条件を変更し、そして不快な労働環境をもたらすに足るほど十分に重大又は徹底したものである」といったより明確な基準が付加されることにより、違法といえるだけの実質を備えているかが厳正に判断されなければならない。

四  被告らの主張に対する認否

1  被告の主張1のうち、原告が被告会社入社後その能力を発揮して重要な役割を果たしていたこと、被告会社の経営は赤字状態が続いていたこと、L専務の入社後経営の建て直しのために指揮命令系統を明確化するなどの措置を行ったこと、昭和六二年一二月ころ、原告が被告丙と「Y社」からのいわゆる引き抜きの件について協議し同被告から転職を勧められたこと、原告が被告会社を退職したことは認めるが、その余は否認する。

2(一)  同2(一)は否認する。

(二)  同2(二)のうち、原告が被告会社の広告主の旅行代理店支店長といわゆる不倫の男女関係があったこと、被告会社と右取引先との取引が停止されたこと、原告に昭和六二年一二月ころ、いわゆる引き抜きの話があり、この件について被告丙と協議したことがあること、原告は昭和六三年三月一〇日に被告丙から原告の取引先の男性との関係を指摘された上で被告会社から退職するように言われたことは認めるが、その余は否認する。

3(一)  同3(一)のうち、L専務が昭和六三年三月に原告及び被告丙と両者の関係について相談したこと、原告の給与が同月分から二万円昇給されたこと、L専務は同年五月二四日に原告に対して被告会社から退職するよう言われたこと、この際被告会社は被告丙に対して自宅謹慎三日及び減俸の処分をしたこと、原告が被告会社を退職し、同被告からその主張の額の金員の支払を受けたことは認めるが、その余は否認する。

(二)  同(二)は否認する。

4  同4は争う。

第三  本件証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一当事者間に争いのない事実

請求原因1の事実(当事者)、並びに、原告が昭和六〇年一二月初めに被告会社の雑誌「B誌」の表紙のデザイナーをしていたAの紹介で被告丙の面接を受け当初三か月はアルバイトで月額九万円支給、正社員になれば月額一〇万円の賃金支給との条件で入社したこと、原告は昭和六一年一月には正社員となったこと、原告の入社当時、編集は被告丙が、営業はEが、制作はFが担当していたが、他には社員はおらず、学生アルバイト多数を用いて雑誌作成を行っていたこと、原告は入社後間もなく編集業務等に関与するようになり、その仕事量は次第に増加して、被告会社における立場の重要性も増していったこと、原告の給与は昭和六二年五月ころ月額一一万円に昇給されたこと、同年八月二〇日にL専務が被告会社に入社し、被告会社の事実上の最高責任者として被告会社の経営の建て直しに当たり、その一環として指揮系統がL専務と被告丙間に明確化されたこと、原告が被告会社の取引先である旅行代理店支店長と男女のいわゆる不倫関係にあったこと、被告会社と同代理店との取引が同年六月ころ終了したこと、原告と被告丙とは同年一二月末ころ協議の機会を待ち、その際、原告が当時「Y社」からいわゆる「引き抜き」の話を受けていたのに対し、被告丙が転職を勧めたこと、被告丙は、昭和六二年三月一〇日、原告に対して原告が取引先の複数の男性と交際していることを話して退職の勧告をしたこと、L専務は同月ころ原告及び被告丙から両者間の関係について相談を受けたこと、原告は同月に月額一三万円に昇給したこと、原告は同月二四日にL専務と協議の機会を持ち、その結果被告会社を退職したこと、その際に被告丙も三日間の自宅謹慎及び減俸の処分を受けたこと、原告は退職に際して被告会社から二一万二一九〇円の支給を受けたこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。

二本件の経緯の概要

右争いのない事実及び証拠(〈書証番号略〉、証人L、同M、同I、被告丙本人、原告本人)によれば、次の事実が認められる(なお、原告は、証人Iの証言及び同人の陳述書(〈書証番号略〉)について、本件のようないわゆるセクシャル・ハラスメントの有無が争われている訴訟において事案と何ら関連性がない原告の私生活に関する虚偽の点さえ含む事実を証拠として開示することを許すと、それ自体が新たなセクシャル・ハラスメントとなり、原告のプライバシーが更に回復不能に侵害されるから、証拠から排除されるべきであると主張するが、前掲証拠の内容はいずれも本件で問題された事項と直接に又はこれらと密接に関連するものであること、原告の懸念する虚偽内容の証言等の開示の点は裁判所において適切に証拠評価することによって補えることに鑑み、原告の右主張は採用しない。)。

1  昭和六〇年六月二〇日に被告会社に入社し、同年八月二一日からは同社の編集長の地位にあった被告丙は、同年一一月ころ、編集事務等を担当していた女性社員が退職したので、その欠員を補うために編集のできる人材を探していたところ、当時「B誌」の表紙のデザインを担当していたAが、原告を紹介してきた。

そして、原告は、被告丙の面接を受け、当初三か月はアルバイト待遇で試用期間とし、アルバイト期間中は月額九万円支給、正社員になれば月額一〇万円支給との条件の呈示を受け、原告は右条件を了承して被告会社に入社した。その後、原告は、被告会社の忘年会での司会振りを被告代表者ら役員に認められて、入社一か月後の昭和六一年一月から被告会社の正社員となった。

入社当時、被告会社の業務は、学生向けの情報雑誌である「B誌」の発行が中心であり、編集長の被告丙、営業担当のE及び制作担当のC社から派遣の同社社員Fの三人の社員と、特派員と呼ばれていた三〇名前後のアルバイト学生ら(所属大学の学内情報に関する記事の執筆等を担当)によって遂行されていた。「B誌」は、当時一部一〇〇円で一般に販売もされていたが、その主たる収入源は同誌に掲載される広告の広告料によるものであり、被告会社の経営は赤字状態にあった。

2  原告は、入社直後の昭和六一年一月、大学の外国語学科で英語を専攻していたことから、被告丙の指示で「B誌」同年一月号の英語関係の特集記事の執筆を初めて担当した。その後も、原告は、過去に雑誌編集の経験があった上、執筆、編集等の仕事を行うだけの能力を有していることが明らかになったため、徐々に取材、執筆、編集等の仕事を任せられるようになり、「B誌」の特集記事等や、被告会社が経営状態改善のために同年四月からC社から作成を請け負うようになったアルバイト情報雑誌「日刊D」の記事の執筆を度々担当することとなった。

特に、同年九月にEが退社して被告丙が営業に労力の多くを注ぐ必要が生じた結果、被告会社の発行する雑誌の編集等における原告の役割は大きくなっていった。

一方、取材等で原告が外部へ出る機会が増えるにつれて、取引先との付き合いから宴席等に加わる機会も多くなっていった。そうするうち、原告は、同年五月ころ、被告丙の友人で被告会社の広告主でもある旅行代理店の支店長と交際を開始するようになった。

3  ところで、被告丙は、やや内向的で家庭的であり、派手さはなく、私生活では生真面目な方で、女性の在り方や役割等についての女性観は旧来のいわゆる常識的な考えの持ち主である。

その仕事振りについては、被告丙が取引先との打合せに遅れ原告が取引先からの苦情に対応するといったことが何度もあったことや、原告らが残業しているのに被告丙は終電車に間に合わないからとの理由で自分だけ帰宅してしまうことがあったことなどから、被告丙の仕事振りに不満を抱くようになった原告から、昭和六二年の春ころ及び秋ころに、「出かけるときは、出先をはっきりして、二時間おきに連絡をして下さい。」旨言われることもあった。

4  Iは、被告丙の高校時代以来の友人で、同じ新聞部に所属していたし、しかも、同新聞部同窓会事務局が被告会社内にあった上、被告会社のアルバイト学生も同新聞部の出身者が中心であった関係もあって、昭和六一年ころから、被告会社の経営の建て直しにつき被告丙の相談に乗るなどのために被告会社に頻繁に出入りし始め、同社の経営についてまでも深く関与するようになり、時には編集会議を主催することすらあった。

5  原告は、昭和六一年一一月二〇日ころ、卵巣腫瘍により入院して手術を受けることが必要との診断を受けたので、被告丙に仕事上その旨報告した。

ところが、同月二四日、被告丙が突然一二指腸潰瘍で先に入院したため、原告は自分の入院を延期した。被告丙は、結局同年末まで入院を続け、原告は、被告丙が退院して被告会社に復帰した後の昭和六二年一月一七日から約三週間入院した。

被告丙が入院している間被告会社の業務が滞らないように、昭和六一年一二月、C社からP係長が被告会社に出向してきた。同係長は、直接には経理担当とされていたが、実質上は被告会社の業務全般にわたっての責任者としての立場を有していた。P係長が出向して来てからは、Iは被告会社に出入りしないようになり、被告会社の経営を含めた業務の方針は、同係長と原告との間で決まることが多くなった。また、昭和六二年五月ころ、原告は、同年七月分からの給与を月額一一万四〇〇〇円とする二万円余りの昇給措置を受けた。

このような状況において、被告丙は、編集長ではあったが、被告会社の業務の重要部分に関われない疎外感を持つようになっていった。

加えて、被告丙は、同年五月の決算期に被告会社の役員から被告会社の業績不振について責任を問われたり、被告会社の業績のばん回策として考えた「B誌」を無料誌化するとの案も採用されなかったことなどから、被告会社を辞めようかと思い悩むようになった。

6  なお、原告は、昭和六二年一月ころ前記旅行代理店支店長との交際を一応終了し、同年五月ころ同人との関係を最終的に清算したが、同人の勤める旅行代理店の広告の掲載は、昭和六一年一月から昭和六二年四月まで継続した後、同年七月号に掲載されたことをもって終了した。

7  L専務は、大手の広告代理店での勤務経歴を持っていたところ、昭和六二年に被告会社の経営建て直しを依頼されていたが、同年二、三月ころから約半年間被告会社の業務内容等の様子を見た結果、再建が見込めると判断して、同年八月二〇日、専務との役職名の下に、代表権を必要とする業務以外の通常業務すべてを統括する事実上の最高責任者として被告会社に入社した。なお、これと相前後して、P係長はC社に戻った。

L専務は、被告会社の経営建て直しのために、当時の被告会社の業務遂行の指揮系統がはっきりしていなかったので自己の意思が編集長である被告丙を通じて原告ら他の社員に伝わるようにして秩序立った業務運営ができる体制を作ったり、「B誌」を無料化するとの被告丙の案を採用したりした。

右により、一時は疎外感を持ち被告会社を退社しようかと悩んでいた被告丙も、被告会社で編集長として仕事を続けていける自身を取り戻した。

また、仕事の分担についても、被告会社の主たる業務である「B誌」の発行は被告丙が、C社からの請負業務である「日刊D」の作成は原告が、各担当することと大まかに分けられた。

このような経緯から、その後は、被告会社の運営は、L専務と被告丙とを中心に行われるようになった。

8  しかしながら、昭和六二年一二月になっても、被告会社は、その経営状態が改善されず、年内に原告にボーナスが出せるかどうか不確実という状態にあった。

このこともあって、被告丙は、同年一二月二七、八日ころ、原告を呼び出し、原告と協議する機会を持ったが、その際、当時原告に「Y社」から来ていたいわゆる引き抜きの件に話が及び、被告丙は、「Y社」が被告会社よりもかなり高い給与を支給する予定であると聞いたこともあって、原告に引き抜きの話を受けて転職することを勧めた。原告は、この引き抜きの話はいまだ確定的なものではないので、とりあえず年明けに結果を報告する旨答え、話を終えた。

このことがあった後、原告は、被告丙が原告を被告会社から辞めさせたがっているものとの意識を持つようになり、同被告の自分に対する言動に神経を使うようになった。

9  その後、原告は、被告丙に対して事務的な会話以外はあまり話をしないようになった。

この結果、被告丙は、仕事が円滑に回らなくなり職場の雰囲気も次第に悪くなったと感じ、このままでは被告会社の業務にも支障を来すことにもなりかねないと考えるようになり、原告に対し、被告会社を辞めて欲しいと思うようになった。

10  被告丙は、昭和六三年二月ころから、L専務に対して被告会社の社内の雰囲気について報告をしていたが、同年三月九日、L専務に対し、原告に被告会社を辞めて欲しいと考えている旨を告げた。これに対して、L専務は、被告丙には人事権はないとの指摘を行った上で、原告に自分の考えを示して十分に話し合うよう述べるとともに、自らは、その翌日の一〇日、被告会社の社員であるMから事情を聴取した。

一方、被告丙は、同一〇日、原告を呼び出し、原告と前記旅行代理店支店長との関係を聞き知っていることや、その関係が終了したことにより同代理店からの広告依頼が被告会社に来なくなったと理解していたことのほか、被告会社と関係のあるスポーツ新聞の記者SやフリーライターTなどの個人名を挙げて、原告がこれらとも交際があり、更には昭和六二年九月ころから被告会社に掛かって来ていた無言電話も原告の男性との交際に絡むものと思われる等述べた上、このままでは被告会社の業務に差支えが生ずるとして、原告に退職を求めた。

しかし、原告は、右のような原告の交遊関係についての噂を流したのは被告丙自身であり、それを理由に辞めさせるなどは筋が違うと反論して、逆に、被告丙に関係者への謝罪を要求した。

さらに、原告は、同月一一日、直接L専務に対しても、被告丙が関係者に謝るように指示してほしい旨訴えたが、L専務は、噂の出所が不明である段階においては、被告丙に謝罪を強いることはできず、二人でよく話合って誤解を解くしかないとの返事をした。なお、L専務は、右のころ、被告丙からも同月一〇日の原告との協議の結果について報告を受けた。

また、原告は、同月一七日ころ、被告代表者にも前同様の救済を求めたが、同人は原告に事態を余り深刻に考えないように述べるに止まった。

なお、原告は、その前後ころ、同月一〇日に被告丙から言われたこと等を、当時の被告会社の社員MやN等のほか、レコード会社社員のX等に相談したところ、被告丙が昭和六二年末ころXの出席した宴席上でスポーツ新聞の記者と男女のいわゆる不倫関係にあると話していたことや、同被告が昭和六三年一月ころ当時被告会社に入社したばかりのNに対して、原告の私生活について否定的評価を行ったことを聞き及んだ。そして、原告の相談を受けた者の中には、このような被告丙の言動に対して否定的な評価を有する者もあった。

11  L専務は、右のころから、被告会社の運営上原告と被告丙との対立を解消させることを特に重視するようになった。そして、同年三月二二日ころ、L専務は、被告代表者を含む被告会社の役員と協議した結果、被告丙に対し、原告と十分話合いをするよう重ねて言った。また、L専務は、原告に諸々の不満があるのは原告の給与が他の会社に比較してかなり低いことにも遠因があると考えて、原告の給与を従来よりも月額二万円上げたりもした。

しかし、原告と被告丙の仲は一向に改善されず、被告会社内では必要事項以外は一切口をきかず、また、調査の結果被告会社に掛かって来ていた無言電話は原告の交際相手の関係者からではないことが判明した等として、原告が被告丙に面談や電話で謝罪を要求する状態であった。

そして、同年四月に入ると、原告と被告丙との対立の結果、「B誌」の編集、発行等にも支障が生じていると直接L専務に訴えるアルバイト学生も出るに至った。L専務及び被告丙は、これらのことから、原告がアルバイト学生等に働きかけて被告会社内部での原告への同調者を募っていると考えるようになった。

以上の結果、L専務は、同月中旬のころには、原告と被告丙とはもはや両立させることが困難ではないかと考えるに至っていた。

12  昭和六三年四月二六日ころ、L専務は、被告代表者に右のような被告会社内の状況について報告した上で今後の対処方法について相談し、同年五月の連休明けまで冷却期間をおいて原告と被告丙とで話し合うよう被告丙に指示したが、両者の関係にはやはり改善が見られなかった。

連休明けの同年五月六日、L専務が被告会社の役員らと相談した際、同役員らから、原告について再度昇給することで解決できないかとの助言もあった。しかし、L専務は、原告だけを同年三月に昇給させたばかりであること等を考慮の上で、昇給はできないと判断し、この助言を採用しなかった。

また、同年五月中旬ころ、被告丙がアルバイト学生を集めて開いた懇親会の費用について、学生からL専務に対し、被告丙が学生から費用を徴収しながら、店から領収書をもらい二重取りしているのではないかとの疑念が出されるということもあった。

さらに、同月二一日には、アルバイト学生からL専務に対し、重ねて、原告と被告丙との対立の結果被告会社の業務運営に支障が生じており、いったん雑誌を廃刊して体制を建て直すことも必要ではないかとの意見が告げられた。

13  L専務は、昭和六三年五月二四日の午前中、被告代表者を含む被告会社役員にそれまでの経過を報告して解決の方策につき意見を求めたが、結局、L専務が原告及び被告丙とそれぞれ会って話し合い、場合によってはいずれかに退職してもらうほかに手段がないという結論になり、被告代表者は、L専務に対し、そうするよう指示した。

そこで、L専務は、その日の午後、双方の話を聞くこととして、まず、原告を呼び、被告丙と妥協する余地はないかとの申入れをしてみたが、原告は、前同様に被告丙の謝罪要求に固執し、同専務に情報提供した被告会社の他の関係者に電話で事情を確認することも要求する状況であった。

このため、L専務は、話し合いがつかないことになれば被告会社を退職してもらうことになる旨述べたところ、原告は、退職する意思を表明した。L専務は、原告が右のような意思表明をしたので、原告との話を打ち切った。そして、次に面談すべく待機させていた被告丙に対し、原告が自ら辞めると言ったことを伝えた上で、これは喧嘩であり両方に責任があるとして、三日間の自宅謹慎を命じ、その後、被告代表者とも相談して、賞与を減俸する処分をした。

14  なお、その後、被告会社は、原告に対し、三か月間の平均給与額で算出した一か月分(但し、昭和六三年五月二一日ないし同月二五日分を日割計算した分を含む。)の給与に功労金の名目で五万円を加えた二一万二一九〇円を支払った。

三原告の指摘する被告丙の行為の存否について

前項に認定した事実関係を前提にして、以下検討する。

1  第一の事実(被告丙が昭和六一年六月ころアルバイト学生らに原告の異性との交遊関係が派手である旨述べたこと)について

先に認定したとおり、昭和六一年六月当時原告は取引先との付き合いから宴席に加わる機会が多くなっていたところ、被告丙はその供述中で各種の雑談の機会に原告がよく酒を飲みに行くと話したことがあると述べ、また、被告丙としては原告の右態度を必ずしも是認していなかったことも窺われるし、前述の同被告の性向、女性観や、後に認定する第七、第一〇及び第一四の各事実、すなわち、同被告が被告会社女子社員M、N或いはアルバイト学生に対して原告に関し本件事実と同様の女性としてのマイナスの人物評価を行っている事実に照らしても、本件事実程度の発言を行ったであろうことは推測するに難くなく、この点に関する原告の供述は信用できる。

もっとも、アルバイト学生らに伝わった同事実に関する噂の出所が同被告のみであったとも断定はできない。

2  第二の事実(被告丙が昭和六一年八月ころIらに原告とAとの間の異性関係を示唆する発言をしたこと)について

右に認定のとおり、原告はAの紹介で被告会社に入社したのであり、また、証拠(原告本人、被告丙本人)によれば、Aと原告とが以前同じアパートにそれぞれの住居を有していたことや、Aは昭和六一年当時被告会社にしばしば出入りしていたこと、そのため被告丙が原告に「最近Aがよく来るね。原告に気があるのでは。」と話していたことが認められ、これに、被告丙が、後に認定する第六、第八、第九、第一二及び第一五の各事実にも現れているとおり、原告の男女関係について度々言及しており、そのような性向を持っていることや、Iと親しい間柄であったことなどを考えれば、この点に関する原告の供述は信用でき、本件事実、つまり、同被告が原告とAとの関係についての噂を流布したことを推認することができる。

3  第三の事実(被告丙が昭和六一年八月末ころ体調が悪く被告会社のソファーで休んでいた原告に対して「昨夜も遊んだのか。」と言ったこと)について

証拠(原告本人、被告丙本人)によれば、昭和六一年八、九月ころ、原告が通勤中に貧血症状が出て被告会社のソファーで横になって休んでいたことがあったことは認められるが、原告供述以外には、その際に被告丙が第三の事実のような発言をしたことを裏付ける証拠はないから、直ちにこれを認めるのは困難である。

4  第四の事実(被告丙が昭和六一年一一月二〇日ころ被告会社の外部の者との電話での会話で原告が卵巣腫瘍になったことに触れ、その原因が異性関係にあるかのように言ったこと)について

先に認定したとおり、原告は昭和六一年一一月二〇日ころ卵巣腫瘍との診断を受けたが、この点に関連して被告丙が第四の事実のようなことを発言したことを直接裏付ける証拠は原告供述以外にないから、直ちにこれを認めるのには若干躊躇を覚える。

5  第五の事実(被告丙が昭和六二年三月ころ被告会社の取引先の人々に原告がパーテイーの後異性とホテル等へ行ったと述べたこと)について

証拠(原告本人、被告丙本人)によれば、昭和六二年三月ころに原告を含む被告会社関係者が同社の広告主が開店した飲食店の披露パーティーに参加したことは認められるが、この点に関連しても、被告丙が第五の事実のような発言をしたことを裏付ける証拠は原告供述以外にないから、右供述のみで直ちにこれを認めるのは困難である。

6  第六の事実(被告丙が昭和六二年五月ころIやEに対して原告がP係長と特別に親密な関係にあるかのように窺わせる発言をしたこと)について

先に認定したとおり、昭和六二年五月ころには、被告会社の業務の運営がP係長と原告とを中心として行われる状況であったため、被告丙は、疎外感を持っていたし、また、同じころ、仕事に関して自信を喪失し被告会社を辞めようかと思い悩んでいたこと、被告丙自身、その供述中で、原告とP係長とが仕事の上で非常に仲がいいと感じ、右疎外感や悩みから、Iらに対して、「二人はえらい仲がいい。仕事も二人でしている。」との趣旨の愚痴を言ったことがある旨述べていること、原告供述によれば、本件類似の話をアルバイト学生の一人も同被告に聞かされて信じていたと認められることのほかに、認定可能な第二、第八、第九、第一三及び第一五の各事実に現れた被告丙の原告の男女関係に関する発言傾向を考えると、その言葉の一言一句は別として、被告丙が、原告とP係長とが職場の関係以上の関係にある趣旨の発言をしたであろうことが推測され、これに反する被告丙の供述やI証言は信用しない。

7  第七の事実(被告丙が昭和六二年八月七日に新入女子社員に対して原告の異性との交遊関係や日常生活が派手で被告会社よりもむしろいわゆる水商売に向いていると述べたこと)について

被告丙は、その供述中で、当時被告会社に入社したばかりのMに対し、昭和六二年八月七日ころの会社帰りに、原告は酒が好きで取引先との付き合いでよく酒を飲みに行くがMはそのようにする必要はない旨言ったことを自認しており、少なくとも被告丙が右のように自認する範囲で原告の私生活面について批判を行ったことは認められ、また、被告丙は、その供述中の別の部分で、当時から原告の取引先の男性との関係について問題視していた旨を述べていることに照らすと、その発言が原告の異性関係に対する評価にもわたるものであったことは十分に推認できる。

なお、証拠(〈書証番号略〉、証人M、原告本人、被告丙本人)によれば、Mは昭和六二年初めころからアルバイトとして被告会社に出入りし、同社の雰囲気は既に十分に把握していた上、Mの被告会社社内における担当業務は雑誌の体裁を整理する制作事務で、対外的な付き合いは予定されていなかったことが認められるから、被告丙が当時Mに対して右のような発言を行う必要性は特に存しなかったというべきであり、先に認定のとおりの当時の原告と被告丙との関係を考慮すると、被告丙の右発言は原告の評価を下落させる性格のものであったと認めるのが相当である。

8  第八の事実(被告丙が昭和六二年秋ころL専務に対して同年六月以降旅行代理店の広告依頼が途絶えたのは同社支店長と原告との異性関係が終了したことが原因であると報告したこと)について

被告丙は、その供述中で、L専務に対して第八の事実のような報告をしたことを認めている。

ところで、先に認定のとおり、原告と右支店長とは昭和六一年五月から昭和六二年一月まで交際し、その関係は同年五月ころ最終的に解消されたのであり、一方、同旅行代理店の広告は昭和六一年一月から昭和六二年四月までは毎月掲載されたが、その後は同年六月の発注をもって終了している。

被告丙は、その供述中で、昭和六二年秋ころIから原告の右交際について聞かされ、その終了時期が同旅行代理店の広告の終了時期と符号していたため、両事実間に因果関係があるものと考えた旨述べているところ、なるほど右のような推論も成り立たないではないが、かと言って被告丙がL専務に報告したように右事実間に関連が存するものと断言するだけの根拠も十分ではなく、被告丙がこの点を客観的に明らかにしようとした形跡も窺われない。

してみると、被告丙は、専ら推測に立脚してL専務に前述のような報告をしたというべきであるが、これは、被告丙が被告会社においていわゆる管理職にあり、そのような立場の者として部下の取引先との交遊関係についてある程度の注意を払い、適宜上司にも報告することが社会活動として通常みられることを考慮しても、軽率な行動であったとの評価を免れない。

9  第九の事実(被告丙が昭和六二年秋ころL専務に対して原告がスポーツ新聞の記者に対する原稿料の支払やフリーライターからの原稿受領等に関して問題となる行動があったと報告したこと)について

被告丙は、その供述中で、L専務に対して職務遂行上の問題事例として第九の事実のような報告をしたことを認めている。

ところで、原告が実際にスポーツ新聞の記者やフリーライターに対して被告丙が問題視したような行動をとったことを認めるに足りる証拠はなく(かえって、問題の相手とされたスポーツ新聞記者が作成した陳述書である〈書証番号略〉には、この点を明確に否定する部分が存する。)、被告丙自身がその供述中でL専務に報告するに当たり事実関係について調査を行っていないことを述べているのであり、被告丙の報告は専ら自己の主観的判断に基づくものというべきであるが、右報告の内容は事柄の性質上報告を受けた者に原告の異性関係の在り方について否定的な印象を与えるものであること、現にL専務の証言中にも被告丙の報告を右のような印象をもって受け止めた旨述べる部分が存することに照らすと、被告丙の右報告は軽率なものであったとの評価を免れがたい。

10  第一〇の事実(被告丙が昭和六二年夏から秋にかけてのころ被告会社のアルバイト学生に対して原告の異性関係が乱れており、そのために卵巣腫瘍になったと言ったこと)について

原告の主張に添う証拠としては、〈書証番号略〉(当時被告会社のアルバイト学生であったOの陳述書)が存するし、右8及び9に見たとおり、被告丙が右当時原告の異性関係について否定的な評価を有していたことにも照らすと、右証拠は信用することができ、右事実は認められる。

11  第一一(被告丙が昭和六二年夏から秋にかけてのころ原告に対し「遊び好きのくせに。」等の嫌がらせを繰り返し言ったこと)及び第一二(被告丙が昭和六二年一〇月ころL専務らに対して原告の創作した小説について実体験を踏まえたポルノ小説だろうと述べたこと)の各事実について

証拠(〈書証番号略〉、証人M、原告本人)によれば、右各事実を認めるに十分である。

12  第一二の事実(被告丙が昭和六二年末に被告会社の取引先のレコード会社社員に対して原告がいわゆる不倫を行っていると言ったこと)について

被告丙は、その供述中で、昭和六二年の年末に行われた広告主であるレコード会社の社員Xらの出席した宴席で話題がいわゆる男女関係に及んだ際に、被告丙の知り合いにも妻子ある男性といわゆる不倫の関係を持った経験者がいるとの趣旨の話をしたことは自認しているところ、被告丙は、右の際に話題の対象とされた人物については特に明言せず、それが原告と分からないように話をしたと述べるが、前認定のとおり、被告丙は右のころまでに原告の右男女関係を聞き知っていたほか、他の男性との交遊関係についても問題視していたのであり、右事実によれば、被告丙は右の際に聞いている者をして話題の対象とされた人物が原告であると推知し得るような言い方で話をしたことが推認でき、第一三の事実は認められる。

13  第一四の事実(被告丙が昭和六三年一月に新たに被告会社に出向して来た女子社員に対していわゆる異性関係を含む原告の私生活について否定的評価をする発言をしたこと)について

先に認定のとおり、原告は昭和六三年三月ころNから右事実について聞き及んだのであるが、被告丙が右発言をしたとされる同年一月ころには、被告丙が既に原告に対して転職を勧めたこともあって、両者の仲は事務的なこと以外は口をきかないほど悪化し、被告丙はやがて原告の退職を積極的に強く希望するほどの心境になっていたのであり、また、被告丙は昭和六二年八月ころMに対しても類似のことを言っていること(第七の事実)にも照らせば、第一四の事実は認められる。

14  第一五の事実(被告丙が昭和六三年三月一〇日に原告のいわゆる異性関係に言及しつつ被告会社からの退職を求めたこと)について

先に認定のとおり、被告丙は、原告と旅行代理店支店長とのいわゆる不倫関係を聞き知っていたことや、その関係が終了したことにより同旅行代理店からの広告依頼が被告会社に来なくなったと理解していたし、また、原告がスポーツ新聞の記者と男女関係があったと思い込んでいたこと、同被告は本件の前日の同月九日にL専務に対して原告にはいわゆる引き抜きの話があるし自分との仕事関係もうまく行っていないので一言言ってみると話し、L専務も原告と話をするよう指示したこと(この事実から、同被告は、当初から退職を勧める心づもりで同月一〇日に原告と協議したことが窺われる。)、そこで、同被告は、原告に対し、原告がスポーツ新聞の記者やフリーライターとも交際があり、更には当時被告会社に掛かって来ていた無言電話も原告の異性関係に絡むものと思われると述べた上、このままでは被告会社の業務に差支えが生ずる旨言って、原告に退職を求めたことから、第一五の事実も概ね認められる。

四被告丙の不法行為責任について

1  被告丙が、被告会社の職場又は被告会社の社外ではあるが職務に関連する場において、原告又は職場の関係者に対し、原告の個人的な性生活や性向を窺わせる事項について発言を行い、その結果、原告を職場に居づらくさせる状況を作り出し、しかも、右状況の出現について意図していたか、又は少なくとも予見していた場合には、それは、原告の人格を損なってその感情を害し、原告にとって働きやすい職場環境のなかで働く利益を害するものであるから、同被告は原告に対して民法七〇九条の不法行為責任を負うものと解するべきことはもとよりである。

2 右二及び三に認定したところによれば、被告丙は、原告が編集その他の被告会社の業務にその能力を顕し、また、関係取引先からも声が掛かることが多くなった昭和六一年六月ころから、被告会社の内外の関係者らに原告の男女関係や被告会社外での私生活を窺わせその評価を落とすような発言をし(第一及び第二の各事実)、また、同被告が入院してP係長が被告会社に出向してきた同年一二月以降は、一応被告会社の編集長という立場にあるものの、実際の業務の運営はP係長と原告とのラインで方針が決定されることが多くなって疎外感を持ち、加えて自らは被告会社の幹部から業績不振の責任を問われる状況の中で、P係長と原告とが職場関係以上の関係にあるかのような悪評を被告会社関係者に述べたり(第六の事実)、新たに被告会社の社員となったMに対して原告の異性との交遊関係や日常生活について評価を下落させるような発言をするなどし(第七の事実)、その後、P係長に代わってL専務が被告会社に入社して被告丙を業務運営の中心に据えた結果、同専務と被告丙との業務ラインが形成された後は、事実関係を十分に確認することなく、同専務に対し、原告の異性関係に伴って被告会社の収入基礎に影響が生じたこと(第八の事実)や、原告の取引先の男性との職務上の問題行動を報告することによって原告の異性関係を否定的に印象付ける言動をとったりし(第九の事実)、また、被告会社のアルバイト学生らに対して原告の異性関係等について否定的評価を行う発言をし(第一〇の事実)、被告会社の取引先の社員にも原告の異性との交遊関係を明らかにする発言をし(第一三の事実)、原告自身に対してもその異性との交遊関係をやゆするような発言をした(第一一及び第一二の各事実)ものであり、さらに、昭和六二年一二月ころに原告にいわゆる引き抜きの話があると知って転職を勧めたのを契機に原告との関係が悪化した後も、被告会社の新入社員に対して異性関係を含む原告の私生活について否定的評価をする発言をし(第一四の事実)、昭和六三年三月一〇日には原告の異性関係が被告会社の運営に支障を生じさせるとして退職を求めるに至っている(第一五の事実)のである。そして、被告丙が右退職要求の根拠として挙げた事情が、客観的裏付けを欠くことも、既に認定説示したところから明らかである。

右のような被告丙の一連の行動は、まとめてみると、一つは、被告会社の社内の関係者に原告の私生活ことに異性関係に言及してそれが乱脈であるかのようにその性向を非難する発言をして働く女性としての評価を低下させた行為(第一、第七、第一〇、第一二ないし第一四の各事実)、二つは、原告の異性関係者の個人名を具体的に挙げて(特に、それらの者はすべて被告会社の関係者であった。)、被告会社の内外の関係者に噂するなどし、原告に対する評価を低下させた行為(第二、第六、第八及び第九の各事実)であって、直接原告に対してその私生活の在り方をやゆする行為(第一一の事実)と併せて、いずれも異性関係等の原告の個人的性生活をめぐるもので、働く女性としての原告の評価を低下させる行為であり、しかも、これらを上司であるL専務に真実であるかのように報告することによって、最終的には原告を被告会社から退職せしめる結果にまで及んでいる。これらが、原告の意思に反し、その名誉感情その他の人格権を害するものであることは言うまでもない。また、被告丙が原告に対して昭和六三年三月にした退職要求の後原告と被告丙との対立が激化してアルバイト学生からもL専務に職場環境が悪いとの指摘が出されるほどになった等からも明らかなように、右の一連の行為は、原告の職場環境を悪化させる原因を構成するものともなったのである。そして、被告丙としては、前記の一連の行為により右のような結果を招くであろうことは、十分に予見し得たものと言うべきである。

もっとも、原告の職場環境の悪化の原因となったのは、必ずしも被告丙の右一連の言動のみによるものではなく、自己の能力や同被告の無責任さを意識して同被告をライバル視し、被告会社の内外関係者を影響下に入れてその業務の中心となることを目論んだとも窺われる原告の姿勢、言動、気性(証人I、同L、原告本人、被告丙本人)なども寄与して生じた原告と同被告との対立関係にも大いに起因するものであり、本件について判断するに際しては、このような事情も十分考慮に入れるべきである。そして、このような状況の中では、相互に多少の中傷や誹謗が行われることはやむを得ないこととも考えられなくはない。しかしながら、現代社会の中における働く女性の地位や職場管理層を占める男性の間での女性観等に鑑みれば、本件においては、原告の異性関係を中心とした私生活に関する非難等が対立関係の解決や相手方放逐の手段ないしは方途として用いられたことに、その不法行為性を認めざるを得ない。

3  してみると、被告丙は、前記一連の行為について、原告に対し、不法行為責任を負うことを免れ難い。

五被告会社の責任について

1  被告丙の行為についての使用者責任

前記四に認定したとおり、被告丙の原告に対する一連の行為は原告の職場の上司としての立場からの職務の一環又はこれに関連するものとしてされたもので、その対象者も、原告本人のほかは、同被告の上司、部下に該たる社員やアルバイト学生又は被告会社の取引先の社員であるから、右一連の行為は、被告会社の「事業の執行に付き」行われたものと認められ、被告会社は被告丙の使用者として不法行為責任を負うことを免れない。

2  L専務らの行為についての使用者責任

原告は、L専務らの行為について被告丙との共同不法行為が成立し、被告会社はこの点についても使用者責任を負うと主張するので、以下に検討する。

(一) 使用者は、被用者との関係において社会通念上伴う義務として、被用者が労務に服する過程で生命及び健康を害しないよう職場環境等につき配慮すべき注意義務を負うが、そのほかにも、労務遂行に関連して被用者の人格的尊厳を侵しその労務提供に重大な支障を来す事由が発生することを防ぎ、又はこれに適切に対処して、職場が被用者にとって働きやすい環境を保つよう配慮する注意義務もあると解されるところ、被用者を選任監督する立場にある者が右注意義務を怠った場合には、右の立場にある者に被用者に対する不法行為が成立することがあり、使用者も民法七一五条により不法行為責任を負うことがあると解すべきである。

(二)  先に認定のとおり、L専務は、代表権はないものの被告会社の実質上の最高責任者の地位にあったし、被告代表者は、文字どおり代表取締役であるから、いずれも原告の上司として、その職場環境を良好に調整すべき義務を負う立場にあったものといえる。

ところで、先に認定のように、L専務は、昭和六二年八月に被告会社に入社後間もなく被告丙から原告の異性関係などについて報告を受け(第八及び第九の各事実)、また、同年一二月に被告丙が原告に転職を勧めたのを契機に原告と被告丙との関係が悪化して来たことについて昭和六三年二月ころには被告丙から報告を受けていた。さらに、同年三月一〇日に被告丙が原告に退職を要求した際(第一五の事実)には、その前日に被告丙からそうする意向を伝えられ、事後にもそうした旨の報告を受けたほか、そのころ自らも被告会社社員のMから事情を聞いており、その後原告本人からも被告丙の行為について問題を訴えられていたのである。

そして、被告代表者も、L専務から問題の報告を受けていたほか、直接原告からも問題を訴えられていたのである。

このように、L専務らは、原告と被告丙との間の確執の存在を十分に認識し、これが職場環境に悪影響を及ぼしていることを熟知していながら、これをあくまで個人間の問題として把え、同年三月に原告について昇給措置を行った以外は、両者の話合いによる解決を指示するに止まった。そして、被告会社の役員らは、両者間の任意の調整が成立する見込みがないと判断すると、最終的には右両者のいずれかを退職させる方針で臨み、被告代表者の指示に従って、L専務が、同年五月二四日、まず原告と面談して被告丙との話合いがつかなければ退職してもらうしかない旨話したところ、原告はこれを受けて退職する意思を表明したというのである。

(三) 以上の経過によれば、L専務らに被告会社の職場環境を調整しようとの姿勢は一応見られ、その対処もあながち不当とまでは断言できないけれども、原告と被告丙との対立の主たる原因となったのが、前記のような原告の異性関係等に関する被告丙の一方的な理解及びこれに基づく同被告の原告に対する退職要求等であった点については、正しく認識していたとは言い難い。そして、問題を専ら原告と被告丙との個人的な対立と見て、両者の話合いを促すことを対処の中心とし、これが不調に終わると、いずれかを被告会社から退職させることもやむを得ないとの方針を予め定めた上で、L専務により両者の妥協の最後の余地を探ったものである。このように、L専務らは、早期に事実関係を確認する等して問題の性質に見合った他の適切な職場環境調整の方途を探り、いずれかの退職という最悪の事態の発生を極力回避する方向で努力することに十分でないところがあったということができる。また、L専務が昭和六三年五月二四日に原告と面談した際にも、当初から判然と意識的に原告のみを退職させて問題を解決しようとの心づもりであったとまでは断定し難いが、L専務は、双方面談の予定をまず先に原告から面談し、その話合いの経緯から退職以外には被告丙との対立関係の解消方法がない状況となって原告がやむなく退職を口にするや、これを引き止めるでもなく直ちに話合いを打ち切り、次に面談する予定で待機させていた被告丙に対しては、解決策については特段の話合いは何もせず、原告が退職することを告げた上で三日間の自宅謹慎を命じたに止まったというのであり、このようなL専務の処理の経過や結果から見るとき、同専務らは、原告の退職をもってよしとし、これによって問題の解決を図る心情を持ってことの処理に臨んだものと推察されてもやむを得ないものと思われる(このことは、右に前後して、L専務が原告に対して「被告丙を一人前の男に仕立て上げねばならない。」、「原告が有能であることは分かっているが、男を立てることもしなければならない。」趣旨の発言をしていることからも窺われる。)。

そして、L専務らは、原告と被告丙との関係悪化が現れた早期の段階から、主として被告丙を通じて事情を認識しており、その行為について同被告の行為との関連性も認められる。

(四) 以上のとおり、L専務らの行為についても、職場環境を調整するよう配慮する義務を怠り、また、憲法や関係法令上雇用関係において男女を平等に取り扱うべきであるにもかかわらず、主として女性である原告の譲歩、犠牲において職場関係を調整しようとした点において不法行為性が認められるから、被告会社は、右不法行為についても、使用者責任を負うものというべきである。

六原告の受けた損害

1  前記認定の経緯、ことに、原告は、被告丙の原告の異性関係等私生活についての一方的理解や他の者への原告の異性関係等に関する噂の流布などから、同被告と職場内で対立し、その上で被告会社からの退職を求められ、これが原因となって結局被告会社を退職するに至ったこと、働く女性にとって異性関係や性的関係をめぐる私生活上の性向についての噂や悪評を流布されることは、その職場において異端視され、精神的負担となり、心情の不安定ひいては勤労意欲の低下をもたらし、果ては職を失うに至るという結果を招来させるものであって、本件もこれに似た経緯にあり、原告は生きがいを感じて打ち込んでいた職場を失ったこと、本件の被侵害利益が女性としての尊厳や性的平等につながる人格権に関わるものであることなどに鑑みると、その違法性の程度は軽視し得るものではなく、原告が被告らの行為により被った精神的苦痛は相当なものであったと窺われる。

しかし、他方、原告も、被告丙から退職要求を受けた後、立腹して、被告丙等に原告及び原告との交際があるとされた関係者に謝罪することを強く求め、また、ことごとに対決姿勢を堅持し、被告丙と冷静に協議していく姿勢に欠けるところがあったこと、さらには、相互の能力をかれこれ対比して、被告会社内における編集業務における主導的地位をめぐって係争する姿勢を保持するなど、被告丙に対するライバル意識を強く持ち、アルバイト学生や被告会社関係者を巻き込むなどして自ら派閥的な行動をとり、時には逆に被告丙に対して攻撃的な行動に出るに及んだことなどが、両者の対立を激化させる一端となったことも認められ、また、原告の異性関係についてその一部は原告自ら他人に話したことも認められる。

これらの事情や、その他前認定に現れた諸般の事情を考慮すれば、原告の精神的損害に対する慰謝料の額は、一五〇万円をもって相当と認める。

2  前記不法行為と相当因果関係のある損害として認められる弁護士費用は、事案の難易、請求額、認容額その諸事情を斟酌すれと、一五万円をもって相当と認める。

七結論

よって、原告の請求は、被告丙及び被告株式会社乙に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、連帯して、損害賠償金一六五万円及びうち慰謝料に相当する一五〇万円に対する本件の最終の不法行為の日(原告とL専務とが最終的な協議をした日)の翌日である昭和六三年五月二五日から、うち弁護士費用に相当する一五万円に対する各被告に本件訴状が送達された日の翌日である平成元年八月一三日から、各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条本文、九三条一項ただし書を、仮執行の宣言及びその免脱の宣言について同法一九六条一項及び三項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官川本隆 裁判官八木一洋 裁判官佐々木信俊は、転補につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官川本隆)

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